2018年2月13日火曜日

メンデルスゾーンハウスへ


前回の投稿の後、あまりにも忙しい日々が続いてブログを書くどころかパソコンに向かう時間もなかったため、昨年の旅行記を放置していました。やっと一息つくことが出来たので、記憶を手繰り寄せながら2017年8月30日のライプチヒに戻って話を進めましょう。

 

さて、トーマス教会、バッハ博物館、カフェ・バウム訪問を終えて午前11時、これからメンデルスゾーンハウス、グラッシイ楽器博物館、それからシューマンハウスを徒歩で回る予定です。



 マルクト広場
  

                 ニコライ教会



再びマルクト広場の前を東へ横切ってニコライ教会の前へ来ました。この先を少し左方向へ折れメンデルスゾーンハウスに向かいます。3年前の暮、この通りを間違って南下して、Bayerischer Bahnhof(バイエルン駅)まで行ってしまい、極寒のライプチヒ市内をさまよったことを思い出しました。しかし、今回はすぐにライプチヒ大学、そしてメンデルスゾーンゆかりのライプチヒ・ゲヴァントハウスを見つけて、迷わずメンデルスゾーンハウスに到着することが出来ました。


奥、ゲヴァントハウス、手前はシューマンが法学を学んだライプチヒ大学
現在のゲヴァントハウスは東ドイツ時代に建てられた近代的なコンサート会場です。


Roßplatz(ロスプラッツ広場)という名の大きな通り(マルティン ルター 環状通り?)を渡ると、立派なメンデルスゾーン旧邸が見えて来ます。実際にメンデルスゾーンが暮らし、息を引き取った家です。邸宅の大きさ、内装、調度品などからやはり裕福な一族であったことがよく分かります。また
中心街にほど近いことから演奏活動、社会活動の実践にはとても便利、にもかかわらず大通りを挟んで喧騒から離れた閑静な住宅街なのでメンデルスゾーンの創作活動にも理想的な環境であったと思われます。






        右側がメンデルスゾーンハウス、この建物全部です。

                                 書斎、落ち着いた雰囲気の中で名曲が書けそうです。


                奥行きのある廊下

画家としてのメンデルスゾーン、旅先での美しい絵画が展示されていました。

        スイス、シャッフハウゼン付近のラインの滝です。

登山したアルプス山頂。

            サロンコンサートが開かれる広間

              初代ゲヴァントハウスの模型

                   中庭

              名曲を聴くことも出来ます。









2017年10月21日土曜日

カフェ・バウムにて

トーマス教会付近の地図です。


トーマス教会を出て、クロスターガッセを数百メートル北上すると、ドイツ最古のコーヒー店、カフェ・バウムがあります。この店を訪れたゲストたちの華やかなこと、J.S.バッハ、シューマン、ワーグナー、そしてナポレオンまで!そのなかでも、特にローベルト・シューマンが1833年頃から、このカフェ・バウムで友人や音楽関係者と頻繁に集って、新音楽時報という新聞を創刊する計画を練りました。その新聞のコンセプトは、当時の保守的、低俗な楽壇を旧約聖書に登場する「ペリシテ人」と呼び、それと戦う進歩的な若手音楽家集団を架空の「ダヴィッド同盟」と名付け、新しい音楽が守旧派に勝利するというものでした。ショパンやベルリオーズもダビッド同盟の同盟員で、シューマン自身のペンネームでもある「フロレスタン」「オイゼビウス」も度々登場しました。

1階はカフェとレストラン、3階がコーヒー博物館(入館無料)となっています。


 まず3階の博物館へ上ってみました。全く人の気配がありません。狭いスペースにコーヒーの歴史のような展示物があります。
博物館入口

展示物

ところが、あとで調べると、ナポレオンがライプチヒで最後の飲んだコーヒーカップが展示されていたそうです。また重要なものを見落としてしまいました。

階下のカフェも無人、まだ午前中だったからでしょうか。シューマンがいつも座ったという「シューマンの角席」に座ることができました!


シューマンは、1833年頃からここでダヴィッド同盟について構想を練ったようなことが書いてありました。

      その席から店内を見るとこんな感じです。


      シューマンケーキ、やはり大きいです。

チョコレートケーキ、甘い。

 こんな方々も。左マーラー、右レーガー

      左はリストとグリークでしょうか。

    カフェの向かい側も由緒ありそうな建物でした。


2017年10月16日月曜日

トーマス教会とバッハ博物館

一夜明けて8月30日、快晴のライプチヒです。今日はライプチヒ市内中心部の音楽に関わる名所を回ります。ライプチヒは古くからヨーロッパの出版・印刷の中心地として知られています。旧東ドイツではベルリンに次いで2番めの大都市(現在人口は約52万)、そして、何と言ってもパリ、ウィーンと並ぶ音楽の都でもありました。

音楽家の旧宅などの史跡は、ライプチヒ音楽の軌道として整備され、このうち今回は約5.3kmの「音色の足跡コース」をを徒歩で巡ります。特に、3年前の暮に入館出来なかったメンデルスゾーンハウス、またグラッシィ楽器博物館にはぜひもう一度行きたいと思ってコースを選びました。リンク先をご覧ください⇒ライプチヒ音楽の軌道

最初に、リンク先の音色の足跡コースの地図では16番のトーマス教会を訪ねました。
J.S.バッハが1723〜1750年、つまり亡くなる時まで音楽監督を務めた教会です。

特に最初の数年間、毎週日曜日の礼拝のために年間60曲の教会カンタータを作曲したことで知られています。1曲20〜40分かかるオーケストラ、合唱、独唱を含む曲を一体どうやって毎週作曲したのでしょう?

トーマス教会は朝9時に開くので、まず中へ入ってバッハのお墓にお参りしました。
前回2014年暮れに来た時は、バッハのお墓がどこにあるか分からず苦労しました。祭壇の前、内陣という場所でしょうか、床に文字が刻んであります。

 教会の前のバッハ像、親切なドイツ人のおじさんが、私たちの誇りであるバッハを日本から訪ねてくれた御礼にと撮ってくれました。

      バッハの墓、厳粛な気持ちになります。


振り返ると・・・前回は、オルガンの演奏台のところで小オーケストラがモテットの練習をしていました。

教会の斜向い、にはバッハ博物館があります。かつてバッハが住んでいたと言われるトーマス学校・寄宿舎はトーマス教会と博物館の間に建っていたそうです。

       トーマス教会とバッハ博物館の間





ここから入って中庭を通ったところが入り口です。

中庭

入り口

10時まで開かないので、入口横のショップを覗きます。
やはり、ルターグッズがありますね。


    家系図、初代バッハはパン屋さんだったそうです。

            

   日本語のオーディオガイドがあって助かりました。

家族の不和とは、大バッハ没後、末子ヨハン・クリスチャン・バッハが、職を求めてミラノへ行った際、カトリックに改宗してしまったことを知った、兄カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが激怒して、ご先祖様に申し訳が立たない、と言って兄弟の縁を切ったと言うことだそうです。

            
    実際にバッハが演奏の際に使ったオルガン台。


このパイプに触れると、音楽が再生されます。

 バッハ自身の持ち物であったと確認された唯一遺品、行李だそうです。

2017年10月5日木曜日

ライプチヒ再訪

ライプチヒは、2014年暮に一度訪れました。その時の記憶を頼りにマルクト方向に歩きながら、まずニコライ教会へ。そういえば前回の訪問時に、楽しみにしていたオルガンコンサートにちょっと遅刻しただけで入れてもらえないという悔しい経験をした教会でもあります・・・

この教会についてはこちらをご覧ください⇒ニコライ教会
東ドイツ革命⇒ベルリンの壁崩壊へとつながった毎週月曜日の「平和の祈り」が生まれた場所でもあります。

ちょうどチューリッヒ留学中だった1989年夏、連日ニュースで、東ドイツ国民が夏季休暇を利用して当時旅行を許されていた同じ共産圏のハンガリーへ大挙して押しかけ、西ドイツ大使館に駆け込んで西側への出国(政治亡命)を要求し、遂に東ドイツ政府が出国を許し、東欧民主化の連鎖が始まったことなどが報じられていたことを思い出しました。その頃の様子はドイツ映画「グッバイ・レーニン!」に詳しく描かれています。是非、ご覧になってください。

夕暮れのニコライ教会


   ニコライ教会は皆さんに開かれています。

この付近、前回に来た時は寒い年末だったため閑散としていましたが、今回は夏の観光シーズン最中、多くの人出で賑わっていました。ただ、何やら騒がしい方向を見ると、警官の物々しい警備の中、政治集会が開かれていました。演説内容によれば、どうやら難民排斥のようで、不穏な雰囲気が漂っていました。ドイツ各地でこのような集会、そして反対派との衝突が起こっているそうです。

マルクト広場と歴史博物館

さて、ライプチヒでの夕食はマルクト広場近くのレストラン、Auerbachs Kellerへ。
ここへは、ゲーテや森鴎外もよく訪れたそうです。郷土料理(肉料理)は美味しいですが15€ほど(約1,800円)、味は抜群、サービスもよくビールが進みます。ケラーということで地下にあり、話し声が賑やかに響くちょっと暗めの空間です。こちらは、イノシシ肉!柔らかく煮込んでありました。食事中に、次女の恩師で取手松陽高校の大畑知子先生から、前日ライプチヒに滞在され、しかも同じレストランで食事されたとのメッセージをいただいて驚きました。こんなこともあるのですね。


ビールが美味しい!